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薬医門

薬医門の正面からの写真

江戸時代後期の独自傾向である彫刻大工の建築に対する情熱と技術

江戸時代後期の独自傾向である彫刻大工の建築に対する情熱と技術

建築年代は文政12年(1829年)。棟梁は山瀬平市(邑久郡山田村)大工は尾形太郎左衛門(上山田村)鍛冶屋は内田政治郎(上山田村)と明らかである。
門の形式は一間一戸の薬医門で平面は本柱の柱間が2.32m、本柱と控柱の柱間が1.42mである。
門の両側には本瓦葺、白漆喰壁の袖堀があり向かって左側に内開きの潜戸(くぐりど)を設けている。
屋根は切妻造と本瓦葺で大棟は輪違と菊丸の組棟とし両端に鬼瓦を置きその上に鯱を据え拝みに蕪懸魚(かぶらげぎょ)を吊る屋根面は僅かに照りをみせ降棟はなく隅巴の上に大型の留蓋を置いている。
軒は一軒疎棰である。

構造は2本の本柱と2本の控柱を持ち本柱の頂部に冠木を架け本柱と控柱は男梁(腕木)で継ぐ、男梁は本柱の上部では梁下に女梁(肘木)を使用している。
棟木は妻の男梁の中央部においた笈形付大瓶束によって指示されているため棟木は扉筋より後方にずれた位置にある。
なお、通路の上部には雲龍の彫刻を飾っており、これは蟇股より変化したものである。
外観は多くの彫刻によって飾られた華麗な薬医門である。
全体の構成は門構えの左右に袖塀を持った一般的なものであるが、中央の屋根部分が強調され袖塀との一体化が失われているのは残念である。
細部では屋根の組棟・鬼瓦・鯱・妻の降魚・大瓶束の笈形・中央通路上の蟇股などに見事な意匠と技術を見ることができる。
この門は江戸時代後期の独自の傾向である彫刻大工の建築に対する情熱と優れた彫刻技術を示したものとして貴重である。