ぼけ封じ33観音霊場第16番札所の由来
この霊場会を発足したのは昭和59年(1984年)3月です。
当時65歳以上の高齢者が日本の人口の1割を突破して間もないときでしたが、この割合は時代が進むにつれて大きくなり、それに付随した社会問題が多く出てくると考えられた転換期でした。
この霊場会に先立つこと12年、昭和47年(1972年)に有吉佐和子作「恍惚の人」が社会に大きく警鐘を鳴らし大評判になったのです。その作中で「認知症老人を厚生省も見放している」や「どうしても入院させたいのなら、今のところ特別な病院しか収容する設備は無い」と書かれており痴呆・介護問題にスポットか当てられました。しかしながら、ほとんど進展は見られません。
確かにいくつかの試みはおこなわれた状況で、赤字経営覚悟の老人性認知症専門の病院や病床、リハビリステーションセンター等が作られましたが、まだまだ数える程しかなかったのがその当時の実情です。
昭和59年に全国で50万人といわれた認知症老人を抱えた家族は孤立したまま日夜奮闘しており、この認知症老人が21世紀に入ると100万人を突破することは確実といわれ、社会に及ぼす物心両面の影響が憂われるところから、この霊場会発足の運びとなりました。